エイム不動産販売(株)

代表取締役社長 中川雅之 プロフィール


「自分でも呆れるくらい前向き」と語る中川雅之が、エイムを立ち上げるまで

 

 1963年(昭和38)

和歌山県橋本市に生まれ、大阪府松原市で育つ。明るく、活発で学級委員に立候補するような積極的な子どもだった。


1976年(昭和51)

PL学園中学校に入学、PL学園高等学校、国士舘大学で10年間の寮生活とともに、サッカーに青春をかける。


1986年(昭和61)

国士舘大学卒業。ファッションに興味があったため、神戸に本社をもつアパレルメーカー、(株)ジャヴァグループに入社。


1988年(昭和63)

中学、高校の同級生で、キャビンアテンダントをしていた珠枝さんと結婚。


1992年(平成4)

第一子が誕生するのを機に会社を辞め、日本建託(株)に入社。不動産業への第一歩を踏み出す。

 

 

子供の誕生をきっかけに挑戦がはじまった

不思議な符合なのですが、いま振り返ると私は、子どもが誕生するたびに、自分を新しいステージへと追い立ててきたような気がします。長男が誕生した時に私はアパレルの会社を辞め、全く未経験の不動産の世界に飛び込みました。どうせ仕事をするなら、大きなものを売りたいと思ったのが、その理由でした。

前の会社ではすでに販路が開拓されている中での営業でしたが、今度は完全に白紙の状態からの営業です。土地を持っていらっしゃる皆さんのところにいきなりお邪魔して「土地を有効活用しませんか?」と賃貸マンションやビルの建築を勧めるのが私の仕事。最初はドアチャイムを押すのさえはばかられて、なかなか仕事になりませんでした。

やっとチャイムが押せるようになったと思ったら、にべもなく「要らん。帰って」と言われる始末。さあ、それからは一生懸命考えて、地主さんのご自宅ではなく畑にお邪魔して、集荷作業を手伝ったり世間話をしたりと、私という人間を知っていただくために頑張りました。そうこうしているうちに、地主さんたちもだんだん打ち解けて、私の話に耳を傾けてくださるようになったのです。この時の経験が、現在の私の基盤をつくってくれたと、いまも非常に感謝しています。

1996年(平成8)

日本建託(株)を退社し、住友不動産販売(株)に入社。


自分のやる気とパワーを信じて

日本建託を退社したのは長女が生まれた時です。お世話になった3年半で、土地有効利用と建設、賃貸について学ばせてもらった私は、今度は不動産の売買を身につけたいと思うようになっていました。宅地建物取引主任者の資格はすでに持っていましたので、後は実地に経験を積んでいくだけでした。

再就職先を見つけてから辞めるのは性に合わず、きちんと最後の仕事を終えて、いったん浪々の身となりました。

妻は二人目の子どもが生まれたばかりで不安だったと思いますが、私は自分に自信があったので「大丈夫、年に一回はハワイに連れて行ってやるから、思うようにさせてくれ」と言ったのを覚えています。

そして、募集も何もしていない住友不動産販売を訪ね、「絶対に損はさせないから私を雇って下さい」と売り込んだのです。いま考えると冷や汗ものですが、後々上司となった人たちはえらく威勢のいいのが来たぞ、と思っていたみたいです(笑)。そうこうしているうちに、人員募集が始まり、私は住友不動産販売の社員となることができました。

希望がかなった私はがむしゃらに働き、関西で常にトップを走る営業マンとして認められるまでに、そう時間はかかりませんでした。

そしてこの時期に富田林市の金剛東という場所で8年間暮らし、営業マンとして地域をくまなく駆け回ったことが、後の私に強い影響を及ぼすことになりました。私は金剛東という場所がすっかり好きになっていたのです。エイム不動産販売株式会社を設立した時、迷わず事務所をその地に求めたのもそのためです。子どもの学校や野球の関係で自宅こそ松原の実家に移しましたが、仕事の拠点を第2のふるさとと思っている富田林市の金剛東に置くことができて、私は幸せ者だなぁと思います。

2004年(平成16)

住友不動産販売(株)金剛営業センター所長


2004年(平成16)

藤井寺営業センター所長


2005年(平成17)

住友不動産販売(株)退社、エイム不動産販売株式会社を設立、代表取締役に就任

「知りあえてよかった」と感じ合いたい

話を住友不動産販売時代に戻しましょう。
頑張れば頑張るほど成績も上がり、お客様に信頼していただくことが何よりの喜びだった私ですが、大組織に働く者の常として、管理職としての仕事の比重が次第に重くなっていくのは、いかんともし難いことでした。

その時に私は再び、自分の生き方を見つめなおすことになりました。

自分はお客様のお役に立つ提案ができることがやりがいで、ここまで頑張ってきた。その結果評価もされ、楽しく仕事を続けてきた。いま組織から期待されていることはプレイヤーではなく、マネージャー。でも、それを本当の意味でやりがいと感じることが、私にはできるのだろうか・・。

悩むこと1年半、ついに私は自分で会社を興すことを決意したのです。

やはり自分が力を発揮できるのは、お客様と話し、お客様の希望をかなえるために走り回る、いきいきとした現場だ。自分を信じて、もう一度、新しい一歩を踏み出そう。こうしてエイムは歩み出しました。

私がエイムの基本に置きたいことは"真面目にコツコツやる"ということです。お客様に「売ってもらう」「買ってもらう」というスタンスで向き合うのでは、どうしても利潤の追求が最終目標のようになってしまいます。

しかし私は本当に大切なのは「喜んでもらう」ことであり、お互いが「知りあえてよかった」と感じることだと思っています。

自分が誰かの力になれるって、とても嬉しいことじゃないですか。頼られれば力も湧いてきますしね。

エイムでたくさんのいいご縁をつないでいきたい
―いま、私はそんな風に思っています。

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